【読書感想ブログ】読みたいことを、書けばいい。
はじめに
最近読書感想ブログを書くようになって思うことは「俺、文章力底辺やな」ってこと。
「こんなんじゃ、誰も俺のブログ読んでくれないのでは」という焦燥感を感じているときに
ふらっと本屋さんに立ち寄った時に、俺に囁きかけてくる本が一冊。
その本がこちら↓↓↓
Amazon.co.jp: 読みたいことを、書けばいい。 eBook : 田中 泰延: 本
著者の田中 泰延さんは元電通の社員で24年間コピーライター・CMプランナーとして活動されていました。
その膨大な年月に裏打ちされたテクニックが濃密に記述されている一冊。。。
と思いきや、
この本の表紙には「文章術」と明記してある。 しかし、書くためのテクニックを教えようというものではない。 そうではなく、書くための考え方を示す本である。
という書き出し。。。私が知りたかったのはテクニック。。。
私はそっと本を閉じ、この本をカップラーメンができ上がるまで蓋を抑える重し代わりに使うことにしました。。。
ということはなく、「考え方も重要だよな」という気持ちで読ませていただきました。
序章の最後は以下のように締めくくられていました。
この本は、そのような無益な文章術や空虚な目標に向かう生き方よりも、 書くことの本来の楽しさと、ちょっとのめんどくささを、あなたに 知ってもらいたいという気持ちで書かれた。 そして同時に、なによりわたし自信に向けて書かれるものである。 すべての文章は、自分のために書かれるものだからだ。
「すべての文章は、自分のために書かれるものだからだ。」
最後まで読んでみて思うのは、これがこの本の全てな気がします。
なにを書くのか
「文章術」とは何か、そもそも文章とは何でしょうか?
書物には「文書」と「文章」の2種類があります。
「文書」は報告書、論文、企画書といった「問題解決」や「目的達成」のためのものであり。基本的に面白味もないので、読みたいと思えるものではありません。
「文章」は書きたい人がいて、読みたい人いる(かもしれない)というもののことを指します。その中でも「随筆」という分野がネット上の9割を占めると言われています。
「随筆」とは「事象と心象が交わるところに生まれる文章」です。
事象とは見聞きしたことや知ったことで、世の中の全ての物事を指します。
心象はその事象に触れて、心が動かされ、この気持ちを誰かに伝えたいと思うことを指します。
事象を客観的にとらえて書かれた文章は「報道」寄りとなり、心象を強く押し出した文章は「創作」「フィクション」寄りとなります。
今あなたが書きたいと思っているものは何ですか?「文書」でしょうか?「文章」でしょうか?それとも「随筆」でしょうか?
「随筆」ならその中でも「事象」寄りでしょうか?「心象」寄りでしょうか?
自分が何を書きたいか、もっと言うと自分が何を読みたいか。それをはっきり意識しておくことは文章を書く上では重要なこととなります。
カマクラ・ミリタリー・ガバメント
「幕府」とは?というくだりがこの本の中にはあります。「今書いている文章の言葉一つ一つに対して、その言葉の意味をしっかりと定義しよう」という文脈の中で「幕府とは?」という問いかけがなされます。「鎌倉幕府」「室町幕府」「江戸幕府」各時代にそれぞれ出現するこれらのワードの正体は一体なんなのか?著者が英語辞書を開いてみると「ミリタリー・ガバメント」と記載されていたそうです。つまり「軍事政権」の意味で「幕府」が使われていたということでした。私はそれまで「幕府」は日本のトップ、政治を司る場所、くらいの意味かと思っていましたが、この言葉でずいぶん理解が深まった気がしました。これがワードをしっかり定義しようということの意味なのです。ざっくりとした解釈で言葉を使って文章を書いていると、やはりその文章もざっくりとした軽いものになりがちですが、定義をしっかりとしておくことで文章の重みが変わってくるのだと、この章で理解させられました。
だれに書くのか
読み手など想定して書かなくていい。その文章を最初に読むのは、間違いなく自分だ。 自分で読んで面白くなければ、書くこと自体が無駄になる。
では自分が読みたい文章とは何でしょうか?
「わたしが言いたいことを書いている人がいない、じゃぁ自分で書くしかない」
そうです。誰も自分が読みたいと思う文章を書いていないとき、読みたいのに読めない。じゃぁ書こうとなるのです。(ならない人もいるかもだけど)
だが、「いまさら書かなくてもいいことは書く必要がない」という事はある意味、ラクなことだ。 特段の新しいものの見方も疑問もなく、読み手でかまわないなら、読み手でいよう。 どこかで読んだ内容を苦労して文章にしてもだれも読まないし、自分も楽しくない。
書きたくないなら、書かなくてもいいよ。そういうメッセージが込められていますね。
でも、私は書きたい。何より未来の私のために。
どう書くのか
随筆とは、結局最後には心象を述べる著述形式だということは述べた。 しかしそのためには、事象を提示して興味を持ってもらわなければならない。 事象とは、つねに人間の外部にあるものであり、心象を語るためには 事象の強度が不可欠なのだ
以下、事象の強度の上げ方
ライターの仕事はまず「調べる」ことから始める。そして調べた9割を棄て 残った1割を書いた中の1割にやっと「筆者はこう思う」と書く
つまり、ライターの考えなど全体の1%以下でよいし、その1%以下を伝えるために あとの99%以上が要る。「物書きは調べることが9割9分5厘6毛」なのである
むちゃんこ調べて、そのうち1割を要点としてまとめて、まとめの1%に心象を足す。
心象はカレーでいうところの福神漬けですね。
調べ方
著者は「ネットなどの二次資料ではなく、図書館などで一次資料を当たれ」と書いています。
ネットはまた聞きのまた聞きが跳梁跋扈している場所なので、ちゃんとしたソースをもとに話をしよう。ということのようです。
言葉とは、文字通り「葉」である。好きなことを好きに書いた葉を繁らせるためには、 「根」が生えていなければならない。それが一次資料である
しっかりした文章とは、しっかりしたソースをベースにしていて信頼感が違うということなんでしょうね。
調べることは、愛することだ。 自分の感動を探り、 根拠を明らかにし、 感動に根を張り、 枝をはやすために、調べる。
愛と敬意。これが文章の中心にあれば、 あなたが書くものには意味がある
愛と敬意だけが友達さ。
この章のまとめ
さて、この「どう書くのか」の章も最後である。 わたしがこの章で述べたことを要約すると、こうなる 事象に出会った時 そのことについてしっかり調べて 愛と敬意の心象を抱けたならば、 過程も含め、自分に向けて書けばいい。
書く形式は起承転結でいい
起:実際の経験だという前置き 承:具体的に何があったか 転:その意味はなにか。テーゼ化(※) 結:感想と提言。ちょっとだけ
(※) テーゼとは、コトバンクには「ある観念をまとめて表現・主張する文章。」とあります。起承に対するまとめのようなものを書くということかな?
感想
何事もそうですけど、「愛と敬意」を持つことは重要ですよね。
若い時は何かと物事を否定してマウントを取ることをしていた身分としては耳の痛い話でした。
でも、自分の読みたいものを書けたらそれでいいんだよ。というのはなるほど感あります。
一年後、このブログを見返したときに、楽しく読めればいいな。と思いました。
感想が薄い (・ω・;)